わたしの好きなものを発信するサイトです。

(ロゴがダサいのは今は許してください)

生きていれば良い事あるって言うけど

もっと好きな音楽に出会いたい。
もっと好きな監督に出会いたい。
もっと好きな作家に出会いたい。
もっと好きなゲームに出会いたい。
もっと好きな雑誌に出会いたい。
もっと好きな店と出会いたい。
面白い人にもっと出会いたい。
面白いコンテンツにもっと出会いたい。

もっともっと……まだまだよぉ〜ッ

これでは死ねないと思う一方、何か避けたい事が起こりそうだったらすぐ死を想うところ、思い切りがありすぎる。
上辺ではあれがしたいこれがしたいまだ死ねないと言う割には、本質的に執着が無さすぎる。
というか耐え性が無さすぎる。

「結局長い時間生きた方が楽しい事を多く味わえる。でも楽しい事しか起きないわけじゃない。それでも生きてないとそれは享受できない。」
これはまず間違い無い。しかし難しいのは、「生きていれば『あーあの時死んでなくて良かった。これが味わえないんだから』って結果的に思う事があったとしても、先に死んでしまえばそれを知る事すら無くなるため、損でもなんでもない」って問題。つまり、生きていればこんなに良い事ある!は死なない理由にならないって問題。

※「いや、生きていれば良い事があるだろうし、それは十分死なない理由になるし、何を勝手に難しくなってンノ?」っていう人。そう思える人は、その状態が幸せで素敵な状態なので、皮肉でも何でもなくどうかそのまま生き続けてほしい。

確かに心にストレスがずっと無い状態なら「生きていれば~」ってのには頷ける。少なくとも全く納得できないとは思わない。たぶん。でも死を考えるような時は、「生きていれば~」は全く効果が無い。まずそれが損だとも思えないし、状態によってはそもそもこの先良い事があるとも思えない。そういう状態にある人に、「生きていれば良い事がある。だから死ぬことはない。死ぬのはもったいない!」は全然意味が無い。


っていうかこの文言に限らず、そういう状態にある人には「説得」ってもの全般がもう効果無いのでは?必要なのは、実際にその人のストレス源を取り除いたり、取り除けるようサポートしたり、ずっと寄り添っていたり、できるかはわからんが、楽しませたりする事では?「行動」「変革」、そういうものでは?
他にも有効な事はあるかもしれないけど、自殺が如何に無意味で”逃げ”で傍迷惑で自分勝手で損で…っていう「説得」、これだけは全く思い留まらせる効果無いのでは?だってもうそんな状況じゃあないんですもの!冷静な損得計算や周囲の状況分析ができる段階ならそうはなかなか思わない。そう思っちゃってるってことはつまりそうなんですもの!

精神的にもっと厳しかった頃の自分に掛ける言葉はまだ無いなーと思いながら色々書いていたが、そもそも「掛ける言葉」ってのがもう違うのかもしれない。進行度によっては。

「今ミャンマーでこんなに美味しい料理食べてるし、マンゴーも食べ放題!シャーロックもダークジェントリーも面白いぞ!」って投げ掛けても、「だから?」って言われたら、まぁ(ぐぬぬ)とは思うものの、ちゃんと言い返せないし説得できないナア………と折に触れ思ってきたが、上記の通り「説得」というのがもう違うのかもしれない。じゃあどうすればいいんだ。

しかも「傍にいること」って言っても、そういう状態にある人の所に新たにやって来て「傍にいますからね!」って言ったところで心理的には全然寄り添えてない。ポッと出のやろーがまためんどくせぇと思ってしまうだけ。まぁそう思わせず短期間で上手に距離を詰めれるのがそういう専門の人なんだろうけども

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。