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布教はするけどそれを好きになってほしくはない

自分の好きな作品を布教したい。観てほしい。この作品のファンがもっと増えてほしくて布教する。ファンが増えるとまあ厄介ごとも増えるかもしれないけど、それでももっと大きなコンテンツになって盛り上がってほしいと思って布教する。

それに、大好きな作品は最早自分を構成する自分の血肉の一部となっている。だから「これが好きな自分を知ってほしい」って意味も込めて布教をする。自己紹介的な意味でもその作品を相手に観てほしい。故に布教する。

でも、観てほしいけどハマってほしくはない。相手がそれを観て大好きになってしまったら、「その作品が好き」という自分のアイデンティティが失われてしまうから。

普通の人は自分の血肉の一部と同じものが相手の中に発生した程度では、アイデンティティが揺らがないのかもしれない。他の部分の自分らしさをもってして自己を保っていられるのかもしれない。だからこのようなことは思わないかもしれない。でも私のアイデンティティはその程度で揺らいでしまうものだから。

だから、「自分が好きなものを相手にも好きになってもらいたい」や「自分の好きなものを共通の話題にして語らいたい」という気持ちよりも全然「観てほしいけどドハマりしてほしくはない」「観てほしくて知ってほしいけど私の血肉の一部を獲らないでほしい」という気持ちの方が勝ってしまう。

とんでもなく自分勝手だ。でもそれが叶うのが一番の理想。なので、本当に好きな作品はあまり人に勧めないか、もしくはこの人これ好きじゃないだろうなって人にしか勧めない。結果布教は功を奏さないわけだけど、それでいい。その作品のファンは増えないけど、私の気は満たされる。そんなセルフィッシュで布教みたいな形をした自己満足をやって今日も生きています。

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