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恋を避けてきた理由

Twitter2 (という名前の巨大Discordサーバー)の「恋」というスレッドを最近時々見ている。前まで自分は恋なんて忌避していたのに。他人のだと楽しめるくらいには成長…というか変化している。今まで恋に触れてこなかった為、この一大コンテンツ、乗るしかねーぜという気分ではある。まだ始めてないが。例えれば周りの人がみんなやってて創作物でも度々言及がある程の超人気ソシャゲが遅まきながらようやくインストールされたけどまだ手を付けてないという感じ。


恋を今まで避けてきた。その気持ちがわからんというのも理由の一つだし、心の中の小童が「好きとか、恥ずかしいこと言ってるー!」と囃し立てるからというのもある。あと、これがかなり大きい理由だが、ここまで恋を知らなかった為ずっと知らないままでいるのが自分のアイデンティティになるかも、というのもある。
私は小さい頃に牛乳プリンを食べて不味!と思ってからずっと大学生になるまで本物のプリンも食べた事がなかった。途中何度か食べる機会はあったが、皆が大好きなプリンをどうせここまで食べずに来たのだからどこまで行けるか試してみよう、それが自分のアイデンティティにもなるだろうと思って20歳くらいまで食べなかった。そのエピソードと同じ。恋を知らずにここまで来たのだから恋抜きで行けるとこまで行ってみようという訳。それが恋を避けていた理由。

あともう一つこれも大きいのが、何が恋か分からなくなったというのもある。前の記事でも書いたが、発情と恋の違いがわからなくなってしまった。わからないも何も実際の本物の”恋”を知らないのだから混同しようがないというのは確かにそうではあるが。恋がどういうものかを知らないからこそ性欲との違いもつかない。
何十分も誰かを想って「これおかしいな?」と思い試しに自慰をして性欲を解消させたらその想いが消える。私がやってるのは恋じゃなくて発情なのか?皆そうなのか?私だけなのか?体の性別による違いとかもあったりしますか?性欲が無くても成り立つのが恋なのか?それとも多かれ少なかれ性欲の上に立脚してるのが恋なのか?(愛は必ずしも性欲の上に成り立ってるものではないというのはなんとなく分かる)

それと大前提としてある理由が、恋に落ちるほど誰かに近づいたことがなかったというもの。私は距離を詰めるのが苦手で、近づこうとして自分が傷つくを恐れてきた。だから悩みとか話せる関係性の人はほとんどいないし、まず友達が滅茶苦茶少ない。そんな自己保身の獣が恋に落ちるほど誰かに近づけるはずがない。一度恋の斥力の働く圏内に入れば恋に落ちやすいのかもしれないけど、そもそもそこまで近づく事がない。上部だけの付き合いをしてしまう。


以上が私が恋を体験してこなかった、考えられる理由の数々である。

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