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浪費中

仕送り6万なのに1ヶ月で12万円くらい使ってしまうという浪費生活を2ヶ月も続けている。バイトしてないのに!まずいよこれは。なんでそんなに浪費してるの?…なんか、そういう用があったから……。貯金があるんですか?もう無いです…。
でもさぁ〜っ、こういうのって思い込みが大事っていうか、スピリチュアルな話ですけど、「自分はお金が無いんだ…セーブしないといけないんだ…」って思い続けるのと「自分はお金があるんだ!好きに使っていいんだ!」って思い込んでるのとでは、後者の方が金回りが良い気がするんですよね。ほんとに気がするだけの話なんですけど。だから自分はお金が無いって思い込んで行動するより、お金がたくさんあるんだって思って行動した方が良い気がするんですよね詭弁ですけど。

わたしはそういう超自然的な事を信じ切ってはいないが、バカにはできないなと思っている。特にそういう根拠になる原体験があるって訳ではないけど。心霊系の話を好き好んで聴いてる身としては、そういう超自然的な何かがあってくれという気分ではいる。
でも、大好きな心霊系の話でさえ、大好きで幽霊は存在しててほしいからこそ、どこまでも批判的な目で見てしまう。「それはただの夢なのでは?」とか「それは科学的事象なのでは?」とか「それは心霊という要素を排除しても成り立つ出来事ですよね?」とか、怪談を徹底究明してしまう。まぁ世に聞く怪談ってのはだいたいエンタメとして成り立つように盛られたり創られたりしてるものだからそこを究明しようとしてもあまり意味が無いんだけど。映画とか舞台歌劇に対して「それって作り物ですよね?」って言ってるような無粋な詰問だから。


余談だけど、幽霊の存在は有ってほしいと思ってる反面自分が死んでも、例えそれが凄惨な自殺だとしても幽霊になるとは思っていない。自分だけは幽霊にならないと思ってる。なる気がしない。他人の死後、つまり一般に言われる”幽霊”又はそれに準ずる存在はあってほしいと思ってるのに、自分だけは死後そうならないって思い込んでるのはおかしくないか?まあ…凄惨な殺人なら霊になるかも。それはなんとなく思うけど、それ以外の死因で幽霊になる気がしない。強烈な怨念以外で自分の存在をこの世に残せる気がしない。でも怪談の世界では「自殺した人達の霊が〜」とか「数年前に亡くなったはずの〇〇さんが〜」とか、よくある。怪談は脚色が多いとは言え火のない所に煙は立たぬと申します故…幽霊になるのか〜?自分も?脳が機能停止したらそれ以上の事が起こるはずが無いでしょ。まだ死んだことないからわかんないけど。

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