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(ロゴがダサいのは今は許してください)

部屋①

わたしには今の部屋の、unicoのグリーンのラグマットの上に1人用のコタツがあって、その上にはスタバの海外マグカップとWECKのジャグが常にあって、コタツの横には同じくグリーンのでっかいでっかいフカフカ座椅子があって、ひっくいひっくいTV台の上に小さいTVがあって、台所には冷蔵庫の上に電子レンジ、その上にはお弁当箱に入った裁縫道具、壁の横には日本縦断をした自転車とギター、マス目状のデカい棚に漫画と円盤類と変身ベルトのバックルひとつ、床には万年床の敷布団がひとつ、椅子が無くて使えなくて物置になってる学習机、5年前の4月にゴミ袋に入れたまんまで出してない、最早インテリアとなったデカい発泡スチロール……ってのが基本中の基本になってる。それが”基本”というか、その配置に体がフィットするように自分が行動してる面もある。それがそうなってるのが当たり前。その物の配置に合わせて自分の動線が決まる。これらがこの部屋の基本。当然の状態。そしてそれは「山」とか「谷」とか「川」と同じで、そこにあって利用すべきもの。動かせない物理的環境。(ほんとは動かせるんだけどわたしはそういう風に家具を地形と同列に考えてしまうから動かせないし動かそうとも思えない。余談だけどそれが故に模様替えができないし、しない)

だけど、わたしが基本中の基本と思ってるこの配置もわたしがこれら物品と共にここを去れば無くなってしまうわけです。当たり前ですが。
わたしが退去した後に入る人によっては、邦画に出てくるようなめちゃおしゃれな「THE 大学生の部屋」になるのかもしれない。めちゃくちゃインチのデカいテレビ置いて、PS4は置かないかもしれない。ゴミの発泡スチロールを5年放置してインテリアに昇格することも無いかもしれない。壁にレコード張るかもしれないし、窓際には観葉植物を置くかもしれない。布団じゃなくてベッドかもしれない。カーテンも無地じゃなくて柄物かもしれない。男か?女か?それによっても大きく変わるでしょう。
わたしにとってこの部屋は「繰り返されるこうあるべき日常」を形成する、核の一部を担う重要なパーツであり配置なんですけど、だからもはやこれを回路と読んでもいいと思うんですけど、それも人が変わると全く違うものが展開されるんですよね。この○○○○号室も、わたしが去ると全く違う様相を呈するわけだ。わたしが去った後にそうなる…ということはわたしがここに入る前も全く違う生活の動線がここに展開されてたってこと?それは……ものごっついノスタルジーやなぁ。えろう繊細な感情の機微、感じとっとるやないけ。

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